ギャン泣きしてる子供見たら宝くじ買って帰ろう

ふと拝見した「そばうどん両方食べたいとギャン泣き⇒いざ注文来たら来たで、帰りたいとグズる子供」のツイート(下記)で思ったんですけど、


少し話せるようになった子供の要求って必ずしも論理的じゃない・本心じゃない(嘘をついてるとは別です)時があるじゃないですか、語彙も限られてるし。
この点がしっかり理解、あるいは周知されてないために、色々と辛くなってる気がするんです。(当方、現在3歳と0歳育児中です。)

ここからはシチュエーションを利用した想像になるので元ツイートとは無関係という点をご理解いただいた上で読んで欲しいのだけれど、例えばこれくらいの「微妙」なことでカオスが起きる、という想定できいてほしいです。

例えば…

  • 子供は、ごはんは自宅で食べるのが好きだけど、外食も問題なく出来る。うどんや蕎麦も喜んで食べたこともある。
    →親としては「ここで食べて欲しい」という願いが、小さな「力み」になる。
  • 時間、距離的にここで食事を済ませておきたいという、微妙な大人の事情。ちょっと外出先を出発するのが遅れたとか、道路事情とか。
    →これも親の「力み」に繋がることがあり、この「力み」の蓄積が子供の心を不安定にする(なんかいつもと違う親に見える)。 
  • うどん屋さんは子供用食器はあるが、現在の身体の大きさにジャストフィットな椅子が無かったりして、不足はないが、万全ではない。また、子連れ向けではない、落ち着いた雰囲気の店。
    →客観的には「子供用設備OK!」かも知れないが、親・子それぞれに軽微な違和感をもたらす。
    →この「力み」や「違和感」で帰りたい子供vs食事済ませたい親の利害がぶつかり、ギャン泣きとして表層化。
  • 親としては、ここで何の問題もなく食事を済ませて欲しい。そこで「うどんも、そばも両方」というワガママを受け入れ、譲歩したい。
    →子供も「譲歩」し精一杯の要望を出してみるものの、一方で子供としては妙に優しい親に違和感を覚え、更には自分の要求が受け入れられたという成功体験が残る。

  • あと子供としても、きっと言うほどではないんだけど、なことが色々ある。
    →「さっきのおもちゃ屋さんでもうちょっと遊びたかった」、「机の上に置いてあるつまようじの箱の中をのぞきたかったのを止められた」、「実は少しトイレ行きたいけど言い出せない」、「車にお気に入りのお人形おいてきちゃった」、「実はおそばはそんなに食べたくない」、「なんかなれない雰囲気の店だし居心地悪い」、「親がやっぱりなんかちょっと変」とかね!こんな感じで小さいフラストレーションの種が蓄積してることもある。

  • 子供は、自分のワガママが受け入れられたため、「食事よりもこの場を去りたい」という要求を出してみる(※これがたまたま食事が配膳されたタイミングだったりする)。
    →親としては今更ココで食事をしないというオプションは受け入れられるはずもなく、譲歩したのに、という気持ちも相まって、厳しめに食べるように促す。
    →子供としてはこれまで妙に甘かった両親が、切り札を切った段階で急に厳しく叱りつけてきたと思う
    →更にギャン泣き。

 

…というような想像が出来てしまうくらい、このツイートのような状況って「あるある」なんですよね。

 

で、こういう『子供の「ワガママ」に苦戦する親』問題の話になるとどこからともなく出て来るのが、謎のコンサルおじさん
※以下は想像です。

子供の要求をしっかりと聞いたのか?本当にうどんとそばが食べたかったか確認したのか?

自宅まで帰らなくても、以前大人しく食べた店などがもっと近い距離にあるのでは?

普段から外出先では大人しくするようにしつけるべきではないか

ワガママを中途半端に受け入れるから、要求がどんどん大きくなるのであって…

 

うっさい!!!!!

そういうの今いいから!黙ってて!!

 

子供だってそれなりに頑張って、自分の伝えられる言葉の中から、その時の気分でちゃんとした答え出してくれとるわ。それでも気移りしたり、拒絶モードになったり、いろいろするのですよ。まだ子供なのだから(©キングオブコメディ今野)。

親だって子供にギャン泣きされないように最善を尽くしてるわ。とはいえ生活だってあるわ!ギャン泣き回避を最優先にしてたら、他がはみ出すやろ!帰宅してからの風呂の時間や睡眠サイクル、今頼んだ食事の代金とか色々と狂うやろ!ギャン泣き回避補助金でも出るんか

 

サウンドノベルじゃないんだから、常に正しい(ギャン泣き回避の)選択肢があるわけじゃないんですって。
前回ニコニコしながらうどん食べたからって、今日も泣かないで食べるとは限らないわけです!理由?分かりませんよそんなの。本人(子供)だってよく分からない上に、的確に説明出来ないんだから。

 

そんな曖昧な状況を何とかしようとしてるときに、コンサルおじさんの「推定に基づく断定」とか、邪魔でしかないんですよ!こっちは構造不明の黒ひげ危機一発に少ない手持ちの剣を祈るように刺して、黒ひげが飛び出す(泣き止む)ようにと祈ってるの!

ここで「以前はおせんべいで泣き止んだじゃないか」(今から食事だっつの!)とか、「本当に子供の食べたいメニューはうどんとそばだったのか?」(今それいわれても!)とか言われたりしたら、クッソイライラするんですよね。

 

この「コンサルおじさん」が身内(たとえば父親とか、祖父母とか!)の場合は苦労しますよね…更に「コンサルおじさん」のまま、「俺は子育てしてきた」と思って若い世代の子育てを邪魔してる上司も….これはまた別の話。

 

で、話を戻すと、ギャン泣きは不条理。この「なんで子供ギャン泣きしてるんだろ」「なんでギャン泣きしてるのに親は何もしないんだろ」な現象って、親になって体験したところでも、その理由(メカニズム)がよく分からないんですよね。この「親にも分かんない」が一般的には知られてないことがしんどいのではないかと。

 

街で年長者の方がギャン泣きベイビーズをニコニコ見守ってるのって、単に「小さい子元気で可愛いね」っていうことかと思ってたんですけど、それだけじゃなくてこの状況の中で「分かる分かるよキミの(親でも泣いてる理由がわからないという)気持ち」という(小池徹平的な)視線もあるんじゃないだろうか。つまり、「経てる」。

だからもうこういう子供のギャン泣きとかって、周囲としてはガチャに当たったようなものだと思うのが良いんじゃないですかね。


もう確率論的な何かと思ってさ!

そんでもう「いいもん見た」と思って宝くじ買って帰るか、スマホゲーでレアガチャ引くのがベストなんじゃないですかね。

 

つんく♂だったらきっとこの後「外食するんだ」か「帰りにうどん食べてくわ」だろうけど、あいにくこの場合外食中にうどん食ってるわけだから。もう宝くじですよ。

 

上の想定で書いたように、実際はきっと細かい理由の積み上げなんですよ。でもその理由を知るのも大変(不可能)だったり、解消できない理由があったり、一つ解消すると別の問題が起きたりするんです。

(例えば根気よく聞き出して、本当は「カレーうどん」が食べたいと判明し、注文することで一時的にギャン泣き回避できたとしても、その後には
→親には「服にカレー掛かるかも」ストレス、掛かったらイライラ
→子には「時間かかりすぎ」「早く食べたい」ストレスがプラスオン
→新たなギャン泣きルートへ、とかね)

 

少し話せる子供でコレなんですから、まだ喋れない子供のギャン泣きなんて防ぎようがないですよ。ほんと。ガチャです。ガチャ。

少し話せる子供としても、語彙や説明力もそんなにあるわけじゃないのに、「会話が成立する」からと「伝えることが出来る」と思われてるのに、「実際は伝えられない」のってしんどいと思うんですよ。

 

もちろん、中には例外もあるかも知れないけれど、子供を公共の場でギャン泣きさせたい親は居ないし、ギャン泣きして申し訳なく思わない親は居ないんですよ。

 

などということを思ったのでした。

子供たち、どんどん泣こうぜ!大人たち、どんどんガチャ引こうぜ!